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演目深読み
2022/07/31 18:19
演目のあれこれ深読み
心中天網島の道行のルートをMAPで辿る【上演台本編】
心中天網島の道行のルートを詳しくMAPで辿る【原文編】
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令和6年4月大阪公演配役・5月東京公演配役が出ました
ブログバックナンバー
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10分でわかる新版歌祭文「座摩社の段」
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10分でわかる仮名手本忠臣蔵「道行旅路の嫁入」
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10分でわかる「女殺油地獄」
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床本集
人形浄瑠璃文楽
イラスト;豊竹咲寿太夫
江戸時代元禄期、大阪の道頓堀で歌舞伎とともに
隆盛を誇り、幕府の認可の下で興行を行なった竹
本義太夫や近松門左衛門を源流とする人形浄瑠璃
の一座。
文楽座の演者は竹本義太夫とその弟子が創設した
竹本座・豊竹座からの代々の弟子筋で構成されて
いる。
人形浄瑠璃と文楽の違い
人形浄瑠璃文楽、ユネスコの無形遺産に登録されている名称はそのようになっているためもあり、芸能の正式名称が「文楽」だと一般的に広まっている。
では、人形浄瑠璃と文楽の違いって何なの?
人形浄瑠璃とは、語りの芸能である「浄瑠璃」と、傀儡が出合って生まれたもの。
起源は「平家物語」などを題材に演奏をしていた琵琶法師に遡る。
琵琶法師が語り伝えていた数多くの物語の中の「浄瑠璃姫物語」が非常に人気を博した。
以降、その浄瑠璃姫物語で使用されていた節などを使用して作られた語り芸のスタイルを「浄瑠璃」と呼ぶようになる。
時代と共に三味線の発明や傀儡との出合いを経て、人形浄瑠璃という芸能の形が整った。
元禄時代に入り、語り部である太夫の竹本義太夫と脚本家の近松門左衛門が登場。
彼らの本拠地「竹本座」があった現在の道頓堀を中心に大坂で大きな発展と進化を遂げた。
竹本義太夫の登場以降、彼の芸筋の太夫が語る浄瑠璃を「義太夫節」と呼ぶようになる。
江戸時代末期から明治時代にかけて、人形浄瑠璃はかつての勢いを失っていく。
その頃、淡路から大坂に来た植村文楽軒という人物が人形浄瑠璃の再興に尽力した。
やがて「文楽座」と呼ばれるようになる。
現在でも日本中にたくさんの人形浄瑠璃がある中で、江戸時代の「竹本座」「豊竹座」から連綿と続く弟子筋で構成される人形浄瑠璃の一座。
それが
人形浄瑠璃文楽
である。
太夫
浄瑠璃の義太夫節を語る。
ひとりで全ての登場人物や
ト書きを節を交えながら
物語る。
現在の太夫一覧
切
豊竹
若太夫
わかたゆう
[十一代]
豊竹
芳穂太夫
よしほだゆう
豊竹
希太夫
のぞみだゆう
竹本
小住太夫
こすみだゆう
豊竹
亘太夫
わたるだゆう
豊竹
薫太夫
かおるだゆう
切
竹本
錣太夫
しころだゆう
[六代目]
竹本
聖太夫
さとたゆう
切
竹本
千歳太夫
ちとせだゆう
豊竹
睦太夫
むつみだゆう
豊竹
靖太夫
やすたゆう
竹本
碩太夫
ひろたゆう
竹本
三輪太夫
みわたゆう
竹本
津國太夫
つくにだゆう
竹本
文字栄太夫
もじえだゆう
竹本
南都太夫
なんとだゆう
豊竹
藤太夫
とうだゆう
豊竹
呂勢太夫
ろせたゆう
竹本
織太夫
おりたゆう
[六代目]
竹本
織栄太夫
おりえだゆう
豊竹
咲寿太夫
さきじゅだゆう
*芸歴順(同期は五十音順)
三味線
太棹の三味線を演奏する。
他の芸能や音楽で使用され
る三味線に比べ、撥は太く
駒も高い。
「伴奏音楽」ではなく、人物
の心情やいでたち、情景描写
等をひと撥ひと撥表現する。
現在の三味線一覧
鶴澤
清治
せいじ
鶴澤
清友
せいとも
鶴澤
友之助
とものすけ
鶴澤
清介
せいすけ
鶴澤
清丈`
せいじょう
鶴澤
清公
せいこう
鶴澤
清允
せいいん
鶴澤
清方
せいほう
鶴澤
藤蔵
とうぞう
[二代目]
鶴澤
藤之亮
とうのすけ
鶴澤
清志郎
せいしろう
鶴澤
清馗
せいき
竹澤
團七
だんしち
竹澤
團吾
だんご
豊澤
富助
とみすけ
[五代]
野澤
勝平
かつへい
野澤
錦糸
きんし
[五代]
野澤
錦吾
きんご
鶴澤
燕三
えんざ
[六世]
鶴澤
燕二郎
えんじろう
竹澤
宗助
そうすけ
鶴澤
寛太郎
かんたろう
*芸歴順(同期は五十音順)
人形遣い
一体の人形を三人で操作する。
かしらと右手を遣う主遣い、
左手の左遣い、足を遣う足遣い
に分かれる。
現在の人形遣い一覧
吉田
簑助
みのすけ
[三代]
桐竹
勘十郎
かんじゅうろう
[三代]
桐竹
勘次郎
かんじろう
桐竹
勘介
かんすけ
桐竹
勘昇
かんしょう
豊松
清十郎
せいじゅうろう
[五世]
豊松
清之助
せいのすけ
吉田
勘彌
かんや
吉田
簑二郎
みのじろう
吉田
清五郎
せいごろう
吉田
簑一郎
みのいちろう
吉田
一輔
いちすけ
吉田
勘市
かんいち
吉田
簑紫郎
みのしろう
吉田
簑太郎
みのたろう
[二代目]
吉田
簑之
みのゆき
吉田
簑悠
みのひさ
桐竹
勘壽
かんじゅ
吉田
和生
かずお
吉田
和馬
かずま
吉田
和登
かずと
吉田
玉男
たまお
[二代目]
吉田
玉勢
たませ
吉田
玉誉
たまよ
吉田
玉翔
たましょう
吉田
玉路
たまみち
吉田
玉峻
たまとし
吉田
玉延
たまのぶ
吉田
玉征
たまゆき
吉田
玉也
たまや
吉田
玉彦
たまひこ
吉田
玉輝
たまき
桐竹
亀次
かめじ
吉田
文司
ぶんし
吉田
玉志
たまし
吉田
文昇
ぶんしょう
[三代]
吉田
玉助
たますけ
[五代目]
吉田
玉佳
たまか
桐竹
紋臣
もんとみ
桐竹
紋秀
もんひで
吉田
文哉
ぶんや
桐竹
紋吉
もんよし
*芸歴順(同期は五十音順)
師弟間の芸名で苗字が違うことがあるのは何故?
太夫であれば「竹本」と「豊竹」、三味線なら「鶴澤」「竹澤」「豊澤」「野澤」、など芸名の名字というのは決まっています。
入門した際に、師匠と同じ名字を名乗ります。
ただし、そこから先、さまざまな理由で名字が変わることがあります。
改名や襲名の際です。
これは名前を継ぐ際に、継ぐ名前の名字が今までと違うことがあるからです。
また、師匠が亡くなった後、他の方の「預かり弟子」となることがあります。
文楽は世襲制ではないため、若旦那などの絶対的な演者は存在しません。
ですので、自身の師匠が亡くなった際の芸歴によって、諸先輩方のもとに預かり弟子として所属します。
芸歴の明確なボーダーラインはないので、その時々のタイミングであったり、様々な要因をもって判断がなされます。
またその判断も自分でする場合もあれば、遺言があったり、諸先輩方の意向があったりと、これらも様々です。
これらは世襲制ではないことによる師弟関係の特殊な事例です。
10分でわかるあらすじ
仮名手本忠臣蔵
・
大序
・
塩谷判官切腹の段
・
道行旅路の嫁入
恋女房染分手綱
・
道中双六の段
心中天網島
・
北新地河庄の段01
・
北新地河庄の段02
・
紙屋治兵衛内の段01
・
紙屋治兵衛内の段02
・
大和屋の段
・
道行名残の橋尽くし
菅原伝授手習鑑
・
大序
・
加茂堤の段
・
筆法伝授の段
・
築地の段
・
道行詞の甘替
・
寺入りの段・寺子屋の段
双蝶々曲輪日記
・
引き窓の段
冥途の飛脚
・
淡路町の段
・
封印切の段
景事
・
団子売
・
七福神宝入船
stat_2
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